お笑いの評価の難しさについて

今年のM-1の審査で、いろいろと議論が起こっています。

と言うか、ここ数年は毎回審査方法について様々な議論が起こっています。

そんな議論を見て毎回思うのは、お笑いの審査は難しいという事。

同じ演目でも、審査する人により結果が変わるんだと思います。

観客を楽しませたのが正解と言うなら、以前NHKで放送していたオンエアバトルが一番公正な審査だろうけど、いわゆる師匠クラスが審査すればまた別の結果になるだろうし、お笑い学校の講師が審査すればまた結果が変わるんだと思います。

漫才と言っても様々な方式があるわけで、どれが正解とか正しい流れかとかを定義するのは難しい。私の中で強烈に覚えているのは、2008年のM-1でオードリーが勝てなかった時。

この時はNON STYLEが優勝したのですが観客の受けはオードリーの方が上だったと思います(TVで見ていて、ですが)。なので今回ほどではないですが結構議論になりました。

ただ、漫才のテクニックも含めて、と言われるとこれはもう素人にはわかりません。その辺を含めてNON STYLEが優勝したのかな、と思ってました(もちろん漫才も面白かったです)。

M-1後の「みなさんのおかげです」でタカさんがオードリーに「M-1惜しかったね。ネタのチョイスの差かな?」(決勝ではズレ漫才ではなかったので)と仰ってたのが印象的でした。

 

もう一つ、2002年のM-1でテツandトモが演じた後、審査員の間で相当議論が起こりました(当時見ていた人は驚いたはず)。特に立川談志師匠が「お前らここに出てくる奴じゃないよ」と言った時、テレビで見ても会場が凍り付くのがわかりました。

まあこれは談志師匠が凄く褒めている(大会で競うようなレベルではなく。立派に芸として確立している)という事だったんですが、瞬間はかなりびっくりしました(その後ノリノリで共演したりもしてます)。

 

他にも同じような例が多数あると思いますが、M-1は注目度が高いため特に議論を呼ぶんだと思います。でも、いろいろな意見があって当然。何を面白いと思うかは全員が違うのですから。

寧ろその意見の違いを論議して楽しむところまで行ければいいかな、と思います。

でも暴言はダメ。自分の意見と違うからと言って真っ向から否定してしまえば、そこで終わってしまう。それはもったいないと思います。違いを楽しむくらいの余裕がないと、そもそも楽しめないと思います。