道徳の授業=洗脳では? まるで社会主義国になりそう。

今度から道徳が正式な教科となるそうで、教科書検定がようやく終わったとの事。その中で、パン屋のおじさんが和菓子屋のおじいさんにしろだとか、アスレチックを和楽器にしろとか、”?”が浮かぶ指摘が目立つ。

どうも高齢者を大切に、とか日本古来のものを大事に、とかという国の方針を反映しろという事なのだろうが、何をどう考えてもそりゃ無理だろうって感じしかしない。

 

そもそも昔、高齢者が敬われていたのはそんなに長生きする人が珍しく、知識が豊富だったからだろう。そしてその知識が下の世代の生活に役立つので必要とされたわけだ。

 

だけど今はもうそんな時代じゃない。男女とも平均寿命は世界トップクラスで長生きするのだ。もう100歳超えないと大切にされないのではないだろうか?そしてその年になったらさすがに和菓子作ってないだろう。

さらに最近、高齢者が問題を起こすことがとても多い気がする。例えば泣いている赤ちゃんを殴ったとか。町内会でも問題を起こすのは決まって高齢者が多い。残念ながら事実なのだ。

つまりもう単に歳を取ったから、という理由だけで尊敬されることはないのだ。それどころか反対に迷惑になってきているのが事実という事になる。

 

まあ、これらはあくまで一部だし、当然今の礎を築いたことはきちんと尊敬すべきだ。だけど、ただ単純に過去を猛進してしまっていては何にも進歩がない。

例えば若いお姉さんがパン屋さんをやっていて、とても革新的なパンを作ってそれが大評判になったとする。そうなったら菜にも変化をしない老人より尊敬して当然だ。

 

アスレチックを和楽器にしたというのは日本古来の物を、という事で変更指示があったという事だが、今時和楽器に触れる機会がどれだけあるというのか。アスレチックすら危ないという理由で撤去が進んでいる今日、むしろ実感がわかないというのではないだろうか?

 

堀江貴文氏が学校の不要さを常々言っているが、その理由が「学校の教育がもはや時代に合わない」事で、結局は国に都合のいいように洗脳しているからだ、と言う。

そうやって従順に成長した人間は「働く事=会社に就職する=人生」と考える。だから就職活動がうまくいかないと人生が終わったように感じるのだ。

実は私もそうだったので笑えないが、もう正社員として会社に勤めてももらえる給料なんてたかが知れている。昇給もほとんどないし、既に終身雇用などは存在しない。

寧ろ学生時代に問題児だった人の方が、会社を立ち上げたりしてバリバリ働いている。

彼らは学校で洗脳されなかったのだ。

 

確かに色々な知識は必要だ。そしてそれは確かに勉強しなければ身につかない。

でも、勉強する場所は学校でなくてもできるのだ。今やインターネットでかなりの勉強もできるし、発信もできる。

しかも今の世界を変える手段は、間違いなくインターネットなどのテクノロジーだ。考えればインターネットが存在していなかったほんの10数年前までは、仕事の書類を届けるのにわざわざ客先に出向かなければならなかったし、会議をするとなるとわざわざ東京の本社に数時間かけていかなければならなかった。

 

でも、もう今は書類はクラウドにアクセスすれば一瞬でやり取りできるし、スカイプを使えば世界中どこからでも顔を見ながら会議ができる。

時間もお金も使わずにこんなことが可能なのだ。そんな世界では、昔ながらの道徳観は通用しない。

 

もちろん「人に迷惑や嫌な思いをさせない」とか「ごみのポイ捨てをしない」とか、基本的な道徳観は必要だ。

でも考えてほしい。子供がそんなことをするようになるのは、大人がやっているからなのだ。ママ友がいじめをするから子供はいじめをしていいと思う。ゴミのポイ捨てをするから真似するだけなのではないだろうか。

子供はとにかく大人のことを見ている。大人がちゃんとすれば子供もちゃんとする。それが本当の道徳であるべきではないだろうか?

 

特に今回の修正指示は、国の都合のいいように思想をコントロールする意図が物凄く見える。正式な授業にするという事は、採点されるのだから当然高得点を目指すようになるだろう。そうなるとみんな同じ思想になっていくだろう。それが怖い。まるで北の国のようだ。

 そんな国にならないことを本当に願う。みんな違うことがあたりまえなんだから。

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
 

 過激なタイトルだが、内容はさすが堀江さん!と唸る内容でした。